DVDビデオの見所
八幡浜駅を出てしばらく走ると上り急勾配が続きます。双岩駅から伊予石城駅も上り勾配が続きます。伊予石城-卯之町-下宇和の各駅は標高200mの宇和盆地にあります。下宇和駅を出て、法華津トンネルを過ぎると今度は立間駅まで連続下り勾配が続きます。小さなトンネルが連続します。八幡浜から卯之町にかけては昭和20年6月20日の開通となっています。
みかん列車
夜昼トンネルを過ぎて、干丈、八幡浜に向かう車窓は、みかん山ばかりです。また法華津トンネルを過ぎて、立間、伊予吉田に向かう車窓もみかん山が連続しています。今はすべてトラック輸送になりましたが、昭和50年前半までは、八幡浜駅、立間駅からは、たくさんのみかん列車が東京汐留駅を目指していました。列車有効長の関係で、夜遅く小編成の貨物列車が高松駅に向かい、宇高連絡線で宇野に渡り、宇野駅で長大編成になり東京汐留駅を目指しました。
伊予大洲
駅前には、NHKテレビ「おはなはん」のレリーフがある。江戸時代は、加藤氏5万石の城下町。天守閣が復元されています。市内を流れる肱川では、6月から8月末まで鵜飼いが行われます。
夜昼トンネル
全長2,870mのトンネルで大洲市と八幡浜市の境のトンネルです。
八幡浜
八幡浜は、トロール船の本拠地があり、九州と四国を結ぶフェリーが発着します。
八幡浜から卯之町の間は、昭和20年6月の開通で、終戦間際、軍用列車を走らせるべく鉄道連隊が突貫工事で完成させた区間です。資材不足の時代、伊予鉄道高浜線の複線区間を単線にして捻出した線路が使われました。
卯之町
字和町の中心にある駅です。江戸時代までは松葉と呼ばれていたが、火災が多いため、水鳥にちなんで鵜ノ町となり、それが卯之町になったと言われる。
江戸時代末期、蘭学者二宮敬作が住み、敬作を頼って高野長英、シーボルトの娘イネ、大村益次郎らが訪れた。長英の隠れ家跡、開明学校跡、愛媛県歴史文化博物館は駅の近くです。
伊予吉田
宇和島の支藩伊達家3万石の城下町、御殿内、焔硝蔵などの地名が残る。山にはみかん山が連なり、海では真珠の養殖が行われています。
宇和島
予讃線の終着駅。牛の突き合い「闘牛」は市営の闘牛場で催されています。鉄道唱歌の作詞者「大和田建樹」の生誕地です。伊達政宗の長男伊達秀宗を始祖とする伊達家10万石の城下町です。はまちの養殖、真珠養殖が有名です。
|