DVDビデオの見所
坊っちゃん列車の歴史
伊予鉄道は南海電鉄に次ぐ日本で2番目に古い軽便鉄道として、明治20年9月14日に創業しました。
明治21年10月28日に、伊予鉄道は、松山から三津間ではじめて蒸気機関車の運行を始めました。夏目漱石が松山中学の教師として松山に赴任してきたのは、明治28年4月。松山には1年間滞在しただけて、熊本に向かいました。この1年間の滞在期間中の経験を元に名作「坊っちゃん」を書き上げました。小説坊っちゃんの中では坊っちゃん列車は次のように描かれています。
停車場はすぐ知れた。 切符もわけなく買った。 乗り込んでみるとマッチ箱の様な汽車だ。 ごろごろと五分あまり動いたたと思ったら、もう降りなければならぬ 道理で切符が安いと思った。 たった三銭である。
坊っちゃんが乗った駅は今の三津駅で、降りた駅は古町駅だと思われます。三津 古町間の距離が約6.8キロ、6.8キロをたった5分で走れる訳がなく実際には28分かかっています。 また当時の運賃も三銭ではなく、実際は三銭五厘だったと言われています。
坊っちゃん列車は伊予鉄道郊外線(高浜線、郡中線、横河原線、森松線)および市内線(古町から道後温泉)間で運行されていました。 郊外線は今の路線と同じですが、明治時代の市内路面電車線は、現在の路線とは全く違っております。 城北線は、古町から北におおきく回って道後温泉駅に西から入っていました。 もうひとつの路線は今の一番町から気象台前を通り道後温泉に西から入っていました。
市内と道後温泉とを結ぶ道後線は、明治40年に電化されました。 郊外線を中心に入っていた坊っちゃん列車も、昭和29年に廃止されディーゼル機関車、電車に移行しました。
坊っちゃん列車が運行を停止してから、47年、再び、坊っちゃん列車が昔の姿のままで甦りました。
坊っちゃん列車の紹介・木製ピューゲル
西堀端、南堀端、上一万の停留所ではポイントがあり、進行方向が別れます。 路面電車の場合、停留所手前の決められた区間を決められた時間内で通過するかどうかでポイントが自動的に切り替わります。 坊っちゃん列車は客車の屋根に木製ピューゲルを搭載しており、車掌が紐を使って上げ下げを行います。 ナレーションでは最後部の車両の車掌が、この紐の上げ下げを行うと伝えていますが、映像では、前の車両の車掌が、この操作を行っています。
○諸元 |
型 式 |
機関車(1号、14号) |
客車(ハ1、ハ2) |
客車(ハ31) |
車体長 |
4,890 mm |
4,200 mm |
6,096 mm |
車体幅 |
1,920 mm |
2,080 mm |
2,082 mm |
車体高さ |
2,983 mm |
2,685 mm |
2,861 mm |
空車重量 |
9.0 ton |
3.2 ton |
4.2 ton |
駆動機関出力 |
88.26kW/2400min-1 |
|
変速機 |
液体式変速機 |
|
|
ブレーキ装置 |
電気指令式直通ブレーキ |
連結器 |
ねじ式連結器 |
外形相違一覧
1号機関車 |
|
14号機関車 |
|
1号機関車 |
|
14号機関車 |
 |
運 転 台 正 面 窓 |
 |
 |
給
水
筒 |
 |
 |
煙
突 |
 |
 |
蒸 気 溜 加 減 弁 |
 |
|